KK007
cat#
KK007
title:
Cycla
artist:
Level
time:
48'30"
format:
CD

tracklist

1.
Sensit
2.
Colimn
mp3
3.
Desagn
4.
Resinn
5.
Aler Besc
mp3
6.
Formen
7.
Ferna

Text by Barry G Nichols / Level

LEVELは、抑制されたコンポジションにおけるひとつの実験として、メロディーを粉砕し、雰囲気を解体しました。ピアノ・コードの断片と砕かれたリズムは自然と束の間の結合を見せた後に蒸散し、音環境を一新するエーテルとなるのです。この作品はリスナーの期待をあっさりと裏切り、混乱させるものでしょう。私たちが音楽と捉えているものの多くは、構造とメロディーとリズムという決められたルールに従って成り立っています。Cyclaではこれらのルールを打破し、しかし同時にオリジナル素材の価値を保持するために、自身の短い作品を切り刻み、粉々にしたものを重ね合わせました。ここでは、音楽はその形式となる要素が全て剥ぎ取られた彫刻として扱われ、元となる素材が全て残骸となるまで合成を繰り返しました。時には、アクシデントが引き起こす沈黙やエラーや音の融合が作品に持ち込まれ、コンポジションの焦点となることもありました。こうして、安易なカテゴライズを拒否し、LEVELがデコンストラショニスト・デジタル・ミニマリズムという新たな潮流における旗手であることを約束する、優美な感覚に達することができるのです。姉妹プロジェクトのSi_COMMと同様に、LEVELはコンポーザーの方法論とヴィジュアル・アーティストの感性を融合させ、古いルールや考え方を打ち破り、聴覚の探究に新たな可能性を生み出すことで、ミニマリズムという概念を拡張することを目指すものです。このプロジェクトは、ゲーテのあまりにも有名な「建築は氷結した音楽である」という言葉が生み出したデコンストラクショニズムの建築家たちに影響を受けています。このプロセスを逆に考えてみると、LEVELは新たな試験領域におけるアクセスポイントであると言えるでしょう。

Barry G Nichols / Level interview (interviewed by media developer, Matt Spendlove @ Polymorphic)


1.まず始めに、あなたはSi_COMMとECM:323というマルチメディアの世界を冒険するための手段をすでにお持ちですが、ではなぜLevelを始めたのでしょう?

LEVELは比較的最近始めたばかりの、私のレコーディング作品のまた別のマニフェステーションです。Si_COMMは抽象化とミニマリズムの成長段階にほぼ達しており、非常に知性を要求するものになってしまったので、聴き、さらにそれを解釈する上で「難解」ではなく、また私の作品と考えに対するアクセス・ポイントとなるものを表現したいと考えたのです。最初は主にヴィジュアル・アーティスト兼デザイナーとして活動していたので、私はヴィジュアル・イメージを扱うのと似たやり方で音を扱います。私にとっては自分が作った音にはイメージが付随し、作りながら頭の中でそのイメージが変化するのですが、このやり方が私にとっての唯一可能な方法です。LEVELではSi_COMMとほぼ同じプロセッシング技術を使っているのですが、テクスチャーを生み出し、また私のイマジネーションとエモーションに刺激を与えるために、生楽器の音をソース・マテリアルとして使いました。私は自分の作業を最小限に留めるようにしているのですが、これは私がその本質が現れるまで不必要なものを削り落とす彫刻に刺激を受けているからです。きっと多くのミュージシャンにとってはLEVELの作品はきわめて空虚で、おそらく他の音を重ねる必要を感じるものでしょう。この理由から、ミュージシャンやアーティストとのコラボレーションを通じて、私の作品に音を加えてもらい、また何らかの方法でリワークしてもらいました。これは、そんなことをやってみたいと思う人に向けてのオープンなお誘いですよ・・・・。

2.サウンド作品を作るようになってどれぐらい経ちますか?何があなたの活動に影響を与えていますか?あなたは「伝統的な教育」を受けたバックグラウンドを持っていますか?

別の名義を使ってSelektionなどからリリースした2、3のものを除けば、CDでリリースする作品を手掛けるようになってまだ約2年です。長い間ECM:323でサウンド・インスタレーションに取り組み、音素材をヴィジュアルと同時に提示することで、疑問のラインを描き、音の可能性を示し、たとえ高度に制御されたやり方であっても、オーディエンスの反応を疑問のサイクルを完成させる要素として用いてきました。こうしたことはほとんどギャラリーでしかできません。私は以前ECM:323で行った作品を使って統合したのですが、使いものになる録音物を集めることは、ちょっとした個人的な聖戦でした。

私はSi_COMMをソロ・プロジェクトとして始めましたが、他の人とのコラボレーションはとても良いもので、例えばS.E.T.I.のアンドリュー・ラゴウスキーのコンポジションにおける知性とテクニカルな知識は、私のアイデアをより一貫したものへと発展させてくれました。

1983年頃にZoviet*Franceのベン・ポンツーンとロビン・ストーリィに出会って以来ですから、私がエクスペリメンタル・シーンに「関わる」ようになってかれこれ22年(!)になります。カムデンにあるレコードショップで彼らのレコードを発見した後ベンに連絡を取って、ロンドンのTown Houseレコーディング・スタジオで会いました。その頃はヴィジュアル・アートに熱中していて、CDのカヴァーに使ってもらう手助けをしてもらえないだろうかと、自分の抽象作品を見せに行ったんですよ。ベンはいろいろと私を手伝い、励ましてくれ、私がそこで活動を始めることになる住所をいくつか教えてくれたのです。私はたちまちエクスペリメンタル・シーンとアバンギャルド・シーンの虜になり、その頃は小さく、また現在も小さいこの非常に専門的なエクスペリメンタル・シーン全般に貢献することにやりがいを感じて、文章やレヴューを書き、CDのカヴァーをデザインし、またプロモーションを行ったりすることに夢中になりました。私は、音楽、デザイン、アートのいずれについてもきちんとした訓練を受けたことはありません。そのおかげで私は物事に対する独自の見方が出来るのだと思います。学校で特定の分野の教育を受けた人は、その教育のせいでルールブックの外にある可能性に対して盲目になってしまっているのではないだろうかと感じることがあります。私はまさにこの理由から、自分のアートにとっての基本となるものを意図的に「勉強」しないようにしてきました。そのおかげで私は、既に用意された構造と枠組以外のものを作り出し、専門家ならおそらく尻込みするようなこともやってのけることができるのです。これこそまさにヨーゼフ・ボイスが「連結した美学」と呼んだマニフェステーションです。これはいま私が自分自身の向上のために研究しているテーマの一つです。

3. あなたのLevel名義の作品には還元主義者の影響がはっきりと見られます。あなたはコンポジションにおいて、形式的・構造的なアプローチを取っていると思いますか?

全くありません。私の作品は有機的・彫刻的に生まれるものです。私は意図的に、伝統的な意味の音楽を作ることを避けています。さらに言えば、私はミュージシャンとコンポーザーのどちらにもカテゴライズされたくはありません。というのも、言葉どおりの意味で、私自身が私の作品は音楽ではないと考えているからです。私の作業の原動力の大部分は、もちろんまったく主観的なものですが、たやすくカテゴライズされたり、簡単に言葉に置き換えられてしまうことのない何か表現したいという欲求です。私が行う作業の大半は実験の時間の産物です。音を作っては削り、大量の録音から一貫したものを導き出す作業であり、「これが自分自身だ」と思える価値基準を通過して響くものです。私の作品を知れば、私が自分のクリエイティヴィティの全ての側面を扱い慣れているデジタル・ドメインにおいて、パターンと「生きたプロセス」を大事にしていることをはっきりと理解してもらえると思います。私はコンピュータを使って作ることに完全に慣れていますし、コンピュータは私自身の能力の論理的な延長であると考えています。

4.私はCyclaを聴いてこちらを非常に惹きつけてくるものを感じますが、しかしアトモスフェリックな音楽の常として、リスナーにあっさりと無視されてしまう危険性があると思います。あなたの関心は、ある完璧な音響旅行を作り出すことでしょうか?それとも、その聴覚体験となる微細な構成要素に焦点を置いているのでしょうか?

どちらとも言えません!私は音響旅行を作り出そういうつもりは全くないですし、Levelに関しては特にそうです。私にとっては、自分が作業している間、このプロセスは生きたものであり、そしてそれはかつてこの世に存在することのなかった全く別のものになるのです。作品に取り組んでいる際、それを一つの録音物に仕上げるまで、私はいつも作業に没頭し、長い間、私の想像の上でのヴィジュアルとして生きたものにしておくのです。先ほど述べたように私の手法はとても有機的なものであり、コンポーザーがするような、頭の中で音を巡らせるようなことはしません。常に自然に、また時にはあっという間に行われるのです。私の手法はとても抽象的で、野獣と格闘するほど難しく感じることも非常にしばしばですよ。私の関心は、音を彫刻することで、固有の生命とエネルギーを持ったものを作り出すことなのです。自分をミュージシャンだと思わない理由の一つは、とてもヴィジュアルな方法でやっているからです。作品化するためのレコーディングを行うためには理由が必要であり、実際、私の作品の多くは、頭の中のプロセスを直観的に「描き出そう」という欲求を燃料として行われ、それは大抵の場合、主に私のリサーチと探究心の呪いによってインスパイアされ、私の頭の中で数週間燃え続けたアイデアの一つの結果なのです。

5. コンピュータ音楽のテクノロジーに対してどのようなアプローチをとっていますか?常に進歩を続ける分野にあって、最新のハードウェアとソフトウェアについていく必要を感じますか?コンポジションにおいてどのようなツールを使っているか教えてもらえますか。

偉そうなことを言うつもりはないのですが、ツールの名前を言うことはほとんど見当違いでしょう。画家に向かって、どんな絵筆を使いどんな絵の具を使っているのかを尋ねるようなものです(興味を持つのはおそらく他の画家だけでしょう)。私にとって重要なのは最終的な成果物であり、それがいかにリスナーを感動させ、影響を与えるかということなのです。私はほぼどんなソフトウェアを使ってでもこれを達成することができます。したがってあなたの質問に対する答えはノー、最新のソフトウェアの進歩についていく必要は感じません。実際、私が使っているソフトウェアの多くは今や時代遅れのものです。強烈なクリエイティヴィティは極端な制約から生まれるのであり、これはミニマリストのアプローチのまた別の特徴でもあります。

メインストリームのメディアでは、特定の音や手法が最新のハードウェアやソフトウェアの進歩と平行して現れそして消えていく。つまり、「トレンド」を手に入れたと思えばそれらはたちまちクリシェとなり、ありきたりなものになってしまうということは興味深いと感じます。私は既存のソフトウェアを、おそらく意図されていないであろう方法で使い、他の要素と結び付けることで自分自身を限界まで探究に向かわせる方を選択します。こうすることで、ソフトウェアのいかなる限界に対しても、よりクリエイティヴな解決に向かうことを可能にしてくれるのです。極端に言うと、私は時流に飛びついたり、流行り文句を並べたりするのではなく、リスナーに、かつて聞いたことがなく、聴覚を通じて知的な体験を引き起こす音を作り出すことに常に邁進してきたのです。ハードウェアについては少し違います。私は常にPCのクオリティとキャパシティをより向上させようと考えているので、高品質のサウンドカードやミキシング・デスクなどを購入しました。

6.「エレクトロニカ」は私のCDライブラリーの一角を占めていますが、私はいまだに自分の欲求を満たすために、現代日常文化における傍流に目を向けなければなりません。マージナルなジャンルはこの先インターネットとその流通チャンネルによってどのような影響を受けると思いますか?

それは面白い質問ですね・・・。インターネットはメインストリームの外側で活動するわれわれのような人間にとって、大きな可能性を開拓してくれたと思います。小規模の専門インターネットラジオ局やウェブ・レーベル(Polymorphic, Aural Pressure, Radio 365)の出現やMP3の利用急増などは、私たちが音とイメージにアクセスする方法に関して言えば、大きな局面の変化を迎えていることを意味しています。しかし、流通と入手はずっと難しいままでしょうね。私がこの旅を始めた頃は、インターネットが広い認知と高い評価を得るとは思ってもみなかったです。実際、傍流で活動する私たちが、初めて認知された時よりもはるかに強い影響を文化に及ぼしているという考えには刺激を感じます。私たちは遠くからやってくる大きなさざ波の小さな飛沫と言えるでしょう。これはつまり現代文化における「バタフライ効果」ですね。

私たちはだんだんと、地理的なものでなく文化的な関心分野によって一つの社会を形成するようになってきているのではないでしょうか。これは50年以上前にテイヤール・ド・シャルダンが予言した、「ノウアスフィア」ですね。

インターネットに根差したアートに唯一フラストレーションを感じるのは、そこには明確な検閲とクオリティ・コントロールが欠如しているということです。1980年代後半のエクスペリメンタル・アートに広がった「カセット・カルチャー」と同じように、クリエイティヴのための手段が手に入れやすくなったことと、無限にソフトウェアを手に入れられるようになったことは、私たちはいまやゴミの大海に投げ出されていることを意味しています。これは、より知的で熟慮されたものを捜し求めている人々に対して非常にフラストレーションを与えるものです。逆に言えば、私は自由な表現を支持しており、これは長く続くでしょう。私は「ダム・ダウン」カルチャーの概念に大いに関心があるのですが、それについて語り始めるとまったく別のインタヴューになってしまうでしょうね!自分で興味深いものを見つけ出すことを楽しんでいる私は幸運ですね。自分のラジオ番組で素晴らしい作品をたくさん送り出していますよ。非常にありがたいことです。

私はその本質が奥深いものであるという理由からエクスペリメンタル・シーンに惹きつけられたのですが、興味深いものを捜し求めて外へ飛び出さなければならなかった。これはつまり原初的な、インターネット以前の「サーフィン」ですね。そのリサーチによって、しばしば他のアーティストやオーガナイザーらと偶然に交流を持つことになり、もちろんそれらは私にとって非常に実り多いものでした。このことは、アンドリュー・マッケンジー(Hafler Trio)の著書の「骨を手に入れるために穴を掘らなければならないとしたら、その犬の嗅覚と体力は、鍛えられ、磨かれることでさらに鋭くなるだろう」という言葉に要約されていると思います。彼は実際にそうやって骨を手に入れたのでしょうね!

7. PolymorphicからリリースしたShimmerでは、ギタリストのタリク・フセインとのコラボレーションを行っていましたね。これはこの先あなたの探求が向かう方向と考えていいのでしょうか?

全くその通りです。始めに、Polymorphicは野心的なLEVELの作品に惜しみないサポートと、一つの活動拠点を提供してくれました。さらに、この種のウェブ・ベースのレーベルという考え方はすごく面白いと思います。エクスペリメンタルな作品をより幅広いリスナーに聴いてもらえる活発なフォーラムとして続けられるというところは大きいですね。単に自分にとって都合のいい話ですが、CDや他のフォーマットではリリースしたくない、進行中の作品を発表できる手段を提供してくれるものです。私は自分の作品がヴァーチャルな環境にのみ存在するというところを非常に気に入っています。コラボレーションと異種交配は私の活動にとって非常に重要なもので、他人と作業することは教育的な側面があるだけでなく、それまで自分が気づかなかった可能性を気づかせてくれるものだといつも感じます。私の作品の極端にミニマルな特徴は、レイヤーしたり、他のものと繋いだりするのに向いているので、私は他の多くのアーティストがするように、自分の作品の多くを再びミックスし、再解釈することに積極的です。タリク・フセインは才能あるギタリストで、彼のフリーフォームな音楽センスと私の有機的なサンプリングを混ぜることは興味深い体験でした。私たちはある意味で全く別の世界からやってきた人間であるにもかかわらず、関心事を十分に共有することができたんですよ。Shimmerはさまざまなやりとりの結果生まれたもので、ある晩一緒に即興し、お互いのアイデアを試しました。即興はうまくいったものもそうでないものもありましたが、このプロセスは非常に興味深いものでした。

8. S.E.T.I. とのコラボレーション作品PROBE はポストヒューマンの概念を探求するものでしたね。ジェネレイティヴな音楽とは、人間が介在せずとも音楽システムが稼動するための変数を決定するものだと思います。あなたはこのジェネレイティヴな音楽の概念に関心があるのですか?

どちらかといえばイエスです。私は2、3年前に、ジェネレイティヴで創発的なシステムを研究していて、それは自分のインスタレーション作品に役立ちました。自然における創発システムと人工的なジェネレイティヴ・システムの間には具体的な関係があり、それは実際にクリエイティヴィティの全ての側面に影響を与えます。私たちには生命を生み出そうという基本的な欲求があると私は考えます。デジタル・システムはこの機能を初歩的なレヴェルで模倣するだけではありません。私たちはとてつもなくエキサイティングな時代に生きていると思うのです。われわれ人間は次の大きな進歩の途上にあり、炭素ベースの生命体からシリコン・ベースの生命体、もしくはその中間へゆっくりと移行しているのです。もちろんしばらくはこの移行の幼児期にあたる時期でしょうね。しかし、物理と医療の大いなる進歩に目を向ければ、この変化が100年の間にもたらすものを理解することができるでしょう。クリエイティヴィティにおける変化は私たちがかろうじて想像できる程度のものです。音楽とアートがグローバルなネットワークにおいて生み出されることは理解できますが、そこでは、オリジナルなアーティストという概念が過去の遺物となり、知的財産がある一人の人間によって生み出されるという考え方も無効となるのです。この変化の種子は「サンプリング時代」に既に植え付けられていたものであり、デジタル・テクノロジーを手に入れたことで、この問題はさらに進行しています。私はCD作品Four Acoustic Solidsでこの変化を示唆しました。元となる4つの音を他のアーティスト達に送り、彼らの好きなように、ただしオリジナルの音のみを使うように条件を付けていじってもらいました。その結果は、私の「音響DNA」が分からないほど変形した驚くべきものでした。元の音が持つ作家性は余計なものとなったのです。再びコピーライト産業は非常に微妙な立場に置かれていて、この状況は長年続くでしょうね。未来の音楽は間違いなくそれ自体が一つの生命体となり、デジタルなDNAと等価なもので構成されたものなり、自らを生み出す音へと発展し、変化していくことでしょう。

9. ECM323は、レゾナンスやフィードバックといった音の基本的なアーティファクトのヴィジュアル表現を探求するものでしたね。オーディオとヴィジュアルの相互関係におけるあなたにとっての最大の関心事について聞かせていただけますか?

私は常に音に関心を持ち、とりわけ音が産業や医療においてどのように適用されるのかについて興味がありました。しかし多聞に漏れず、私はどのように音がヴィジュアル化されるかを論理的に理解したかったのです。どのように音波が水の中を通過するかについて多くの実験を行い、これらの実験は実際に私にとって初めてうまくいったインスタレーション作品TRACEの基礎となりました。さらに、ギャラリー作品として、スピーカーに当てた小さなレーザーがどのような軌跡を見せるかといった作品を作り、またヴィデオ・フィードバックと音のフィードバックを使ったギャラリー作品を作りました。それらは基本的なレヴェルでのジェネレイティヴなシステムでした。その次の論理的なステップは、デジタルなサウンド・フォームを生み出し、自分自身のジェネレイティヴな音楽を作ることでしたが、この分野はブライアン・イーノやMITのトッド・マコーヴァーといった人々にほぼ達成されてしまっていると感じていました。したがって、よほど複雑な機材やプログラムを手に入れないかぎり(当時の私にはとても手が出ないものでした)、私にとっての探求の余地は小さかったのです。私はパターンとパターン生成、さらに音と建築の関係にずっと興味を持っていました。現在の私の最大の関心事は、音に置き換えられた建築の形態についてと、人工的な構造物において音がどのようにそれ自身を表現するのかということです。

10. Levelとしてライヴを行う予定はありますか?

多くの方から依頼を受けるのですが、返事としては単純にノーです。音楽関係の友人知人はまったく認めようとしないことですが、私は自分がやっていることは音楽ではなく音響芸術であるということに断固として固執しているため、これはますますややこしくなってしまっています。これはずっと議論される問題でしょう。私は「ギグ」としてのライヴ・イヴェントを行うつもりも、またLEVELを「バンド」と考えるつもりもないので、ライヴについてずっと頭を悩ませてきました。これはその通りではなく、さらに私が説明する通りでもありません。ギャラリーなどの静かで落ち着いた空間でイヴェントを行う機会があれば、LEVELのライヴが実現するかもしれません。インスタレーション作品についても同じことが言えるのですが、私は発表の形態に非常にこだわり、オーディエンスを何らかの方法で巻き込むことを好みます。オーディエンス、とりわけアーティストでないオーディエンスをクリエイティヴなプロセスに巻き込むことが何より重要だと私は考えています。先ほどの話にも出ましたが、私たちは「ダム・ダウン」社会で生活しており、人々はより刺激の少ない、一方通行の受動的なエンターテイメントにさらされています。そこでは、イマジネーションをかき立てられたり、思考とアイデアの異種交配が促進されたりすることはほとんどなく、さらに、クリエイティヴな人々を後押ししたり、彼らに刺激を与えるということもほとんどないでしょう。

11.今後の予定はどのようなものがありますか?

多すぎるぐらいたくさんあります!現在はS.E.T.I.のアンドリュー・ラゴウスキーとの作品、Hyperlanguageをリワークしていて、近々彼と顔を会わせて、昨年Resonance FMのために行った録音を再編集する予定です。うまくいけばそれはいつかリリースされることになるでしょう。それから、公共空間に音響彫刻を作るために建築家のグループとやりとりを続けています。このプロジェクトは仮にARCHISONICと呼んでいるのですが、いま私はこのことで頭がいっぱいです。というのも、これは私のクリエイティヴな衝動を満足させてくれるもので、この方向性こそ私が進みたいと考えているものだからです。LEVELの次のCDは半分ほど仕上がっていて、あるレーベルがその完成を待ってくれています。それからCold Springレーベルのコンピレーション、SWARMのための、ジョン・ウォーターマンのSi_COMMリミックスを終えたばかりです。フランスのオーディオ・マガジン、VIBRO 3の立ち上げパーティで、滅多にないことですが、Si_COMMとしてのライヴをパリで行います。この雑誌にはSi_COMMの作品が収録されることになっているのですが、それはまだ取りかかったばかりです。もっと時間があればあともう一つか二つのコラボレーションが進行しているはずなのですが、実際にはそれは年末になるでしょう。それから、他のサウンド・アーティストと定期的にギャラリーに集まって、公共空間にインタラクティヴな音環境を作る「サウンド・ラボラトリー」を是非始めてみたいと思っています。もうある程度下調べはついていて、その計画は来年の早いうちに実現するかもしれません。